ロティ・ムーンの生涯

(V.キャンベル編『神に捧げた生涯~婦人宣教師ロテー・ムーンの伝記』より)

ロティの誕生 <1840年>

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12歳のロティ <1852年>

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15歳のロティ <1855年>
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19歳の信仰決心 <1859年>
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南北戦争(1861-1865)と平和のおとずれ <1864年(24歳)>
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教師になったロティ <1869年(29歳)>
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母の死と18歳のエドモニアの宣教師決心 <1870年(30歳)>
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エドモニアを支えるロティ <1872年(32歳)>
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ロティの宣教師決心 <1873年(33歳)>
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ロティ、中国へ <1873年(33歳)>
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ロティ、日本に寄港する <1873年(33歳)>
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ロティ、登州へ <1873年(33歳)>
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エドモニアとの伝道と病気帰国
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外国伝道局の資金難と婦人会の支援 <1877年(37歳)>
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飢饉の苦しみ <1878年(38歳)>
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学校経営から農村伝道へ <1878年(38歳)~1882年(42歳)>
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農村伝道 <1882年(42歳)>
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伝道の困難と喜び <1882年(42歳)>
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平度への伝道 <1885年(45歳)>
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平度伝道~不信から信頼へ <1885年(45歳)>
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外国伝道局への女性宣教師派遣の依頼 <1886年(46歳)>
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ロティ、男の人に伝道する <1886年(46歳)>
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休暇の願いと社会の変化、宣教派遣の切望 <1887年(47歳)>
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休暇をあきらめる <1887年(47歳)>
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女性たちへの提案~世界祈祷週間 <1888年(48歳)>
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後任の宣教師派遣の願い <1888年(48歳)>
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平度バプテスト教会の誕生~迫害と福音の広がり <1889年(49歳)>
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新しい宣教師の到着とロティの休暇 <1890年(50歳)>
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久しぶりの休暇、帰国報告 <1891年(51歳)~1892年(52歳)>
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ロティ、再び中国へ <1893年(53歳)~1900年(60歳)>
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ロティ、福岡に滞在する <1900年(60歳)>
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治安の回復と母国の熱意の高まり <1901年(61歳)~1902年(62歳)>
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ロティの休暇~日本への寄港 <1903年(63歳)~1904年(64歳)>
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ロティの女性観 <1905年(65歳)>
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勉強と研究 <1905年(65歳)>
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記録されていないこと <1908年(68歳)>
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女子教育の仕事 <1908年(68歳)~1911年(71歳)>
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闘いの最中に <1911年(71歳)>
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バプテスト婦人部設立と外国伝道局の支援停止、飢饉の悪化 <1911年(71歳)~1912年(72歳)>
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山の中の洞窟に連れて行ってほしい <1912年(72歳)>
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栄養失調 <1912年(72歳)>
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帰郷 <1912年(72歳)>
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ロティの召天 <1913年>
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ロティ・ムーン・クリスマス献金
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中国では <1915年>
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