6月 詩編118編~147編
執筆:新潟主の港教会 主任牧師 福久 織江(ふくひさ おりえ)
命の危機の只中にあって、み旨を行うすべを教えてください、と祈れるなんてすごいですね。わたしはあなたの僕なのですから、と最後にダメ押しできるのもすごいですね。でも神への信頼に基づいた大胆さ、神の僕としての責任感、この絶妙なバランスこそが、神を見上げる者の在り方なのではないでしょうか。
インドネシア伝道と野口日宇満・野口佳奈各宣教師の働きのために
悪辣(あくらつ)な陰謀にはめられ、追っ手に追われても、その絶望の只中で祈ることしかできない…。それを無策で無力であると取るか、神からの慰めと力を得ると取るか、さて私たちはどちらでしょうか。もしかすると、このような状況での祈りを経た者だけが、神が与えて
くださる物が何かを知るのかもしれません。
湘南台教会と坂元俊郎牧師(神奈川・藤沢市)
利権やお金が絡む物事には、いろいろな人が集まり、悪への誘惑が付きまとうもの。社会で仕事をする時、そういったことから完全に無縁でいられる人はいないでしょう。悪事をたくらむ人のほうがこの世の知恵に優っていることが多いのかもしれません。だからこそ、神の守りと導きと戒めを、私たちは祈るのです。
逗子第一教会と杉野省治牧師(神奈川・逗子市)