沖縄推進委員会より

「祈り便」第59信(8月~11月)のご案内

全国の教会・伝道所の女性会のみなさま

日本バプテスト女性連合
6・23「沖縄(命どぅ宝)の日」推進委員会

5月15日、沖縄は本土復帰から50年を迎えました。太平洋戦争で敗戦した日本は、サンフランシスコ講和条約によって連合国軍占領下から独立を果たしましたが、それと引き換えに沖縄は切り離され、戦後も米軍占領下におかれました。
悲惨な地上戦の舞台となり、県民の4人に1人とも、3人に1人ともいわれる人びとが犠牲となり、他国に支配された沖縄は日本のどの地域とも違う苦難の歴史を歩みました。そんな中、沖縄では、不戦と基本的人権の尊重を謳(うた)う平和憲法を求めて「祖国復帰運動」が繰り広げられました。「復帰措置に関する建議書」(*屋良建議書)は、何度も議論を重ねて作られ、「基地のない平和な島」という復帰後の沖縄の希望に満ちた将来像が切望されていました。しかし、それが手渡されることを待たず、「沖縄に基地を残す」という返還協定が国会で強行決議されてしまいました。
翌年1972年、沖縄は日本に復帰しましたが、沖縄の人びとの期待は裏切られ、米軍基地の縮小は進みませんでした。日本の他の地域では、住民運動により基地の撤去や縮小が進み、その跡地が開発され、安全で豊かな生活を実現させていった一方、沖縄への基地集中は増していきました(沖縄における全国の米軍専用施設面積の割合:復帰時58.7%、2000年70.3%)。米軍関係者の殺人事件、レイプ、事故は絶えることはありませんが、日米地位協定に阻まれ公正な裁きは行われないままです。沖縄の人びとは、改善を求めて島ぐるみで集会を開き、辺野古新基地建設反対の県民投票で民意を示しましたが、日本の政府は顧みようともしていません。
今、ウクライナの惨状を伝える情報が毎日伝えられています。「だから日本も防衛費を増額して軍備を拡張しなければ」と与党は主張しています。武力で対抗する道を選べば、あの過去の大戦へ進んだ道を再度歩むことになります。私たちは、その過ちの反省から生まれた平和憲法の下で、平和へ向かう努力の道を選んでいきたいと思います。一度始まった戦争は、終わらせることが非常に困難です。基地のある沖縄が真っ先に標的にされます。沖縄だけに犠牲を強いることはできません。沖縄の平和はわたしたちの平和です。共に痛みを分かち合い、心あわせて主の平和を祈り求め、行動していきたいと願います。


*琉球政府の屋良朝苗(やらちょうびょう)主席(当時)が、米軍基地撤去など施政権返還(日本復帰)後の沖縄の将来像を示した「建議書」。佐藤栄作首相に手渡すために上京するが、到着直前に復帰後も米軍基地が残されることを前提とした返還協定が衆議院特別委員会で自民党によって強行採決された。

Loader Loading...
EAD Logo Taking too long?

Reload Reload document
| Open Open in new tab

Download [329.36 KB]

TOP